3・11の事を忘れない為に、私の経験を書きます。
忘れもしない東日本大震災の3月11日の2時46分、私は勿来町のお客様の庭先で車に乗り込んだ所で、車ごと揺さぶられる大地震に遭いました。
今までに経験した事のない、大きな揺れで非常に長い時間に感じられました。辺りを土埃が舞っていました。電信柱が斜めになり、電線は音を立てて暫く揺れていました。
お客様の安全を確認して、家路を急いだ私は6号バイパスをいわき方面に走りました。
道路上の橋の継ぎ目が15センチぐらいずれて段差になり、超えるのがやっとでした。
その時、既に鮫川の水位が上がりバイパスの道路にパシャパシャと水がかかるまでになっていました。海側を見ると軽トラックを含む車が何台か流されていました。
のろのろ運転で北上していくと、工場の窓から黒い煙が上がっている光景が見えました。
そこを通り過ぎると、バイパスが通行止めになり私は泉町からバイパスより海寄りの道を走りました。
大きな瓦屋根の家が根こそぎ倒れていたり、ガラスが割れていたりで片側交互通行の状態でした。
結局、通常40分で通れる道を4時間半かけて通り抜けました。
家に帰ると、ほとんど全ての物が倒れており、地震の凄まじさを改めて感じました。
水道もガスも止まり、電気だけの生活をその日から約3週間送りました。
その経験から、「地震保険の備えはガッチリしましょう!」という提案を震災から4年経った今も実践しています。